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<番外編>記憶に残すか、記録に残すか~東京オリンピックを振り返る~

執筆者の写真: Naoko SugaNaoko Suga

パリオリンピックに向かって

パンデミックが終焉し、街中がインバウンドや買い物客で賑わいを取り戻している昨今、私たちの心は次のパリオリンピックへ向かって浮足立っていると思います。ただ今一度、前回のオリンピックのホストシティーだった東京は、オリンピックを通して何を学び得たのか振り返りをしたいと思います。


1兆円以上経費が膨らんだ果て

東京オリンピックは、最終的には当初の目録とは桁違いの経費がかかりました。まさかここまで膨らむとは、関係者達さえも「想定外」だったのかもしれません。蓋を開けてみると東京オリンピックは、1兆円を超えるスポーツ「祭典」になりました。しかし、その「祭典」は果たして一体どれだけの価値があったのでしょうか。

当時は、「アスリートファースト」とアスリートが中心の「祭典」であると都知事が宣言していましたが、こちらも蓋を開けてみると、陸上競技は直前になって開催場所を札幌に変えたり、更にはレース前日にスタート時間を変更したりするなど、「アスリートラスト」ではないかと思えるゴタゴタ運営があったと思い出します。


リアルタイムで空間を共有する

通常の「祭典」とは、賑わいがあり華やかであるのが大前提です。そもそもスポーツの祭典としての位置づけであるオリンピックは、選手達も観客も一体となって祭りを盛り上げることではじめて皆の心に響くのです。心に響くから、素晴らしい演技の一つひとつが記憶に残るのです。

本来であれば「ホストシティーの東京は、観客も含めて全員で盛り上げるために、大掛かりな事前準備が大変だった。けれど、皆の心に響いた出来上がりになったから、予算オーバーでも無理して頑張って開催してよかった」と思ったのではないでしょうか。

それが実際のオリンピックは無観客になり、競技場には熱気がありませんでした。逆に、選手たちは先の見えない中で、コロナ感染対策による緊張感で張り詰めた空間で最高のパフォーマンスを出すことを強いられました。

本当の意味での「アスリートファースト」であれば、私個人的には、東京オリンピックは中止するのが良かったのではないかと思います。どんなプロジェクトも一度走り出したら、止める決断をするのは、かなりの勇気がいります。しかし、どこか早めの時期に中止の決断をしていれば、今のスポーツや日本社会はもっと余裕があったのではないでしょうか。

東京でのスポーツ「祭典」から我々が得られた今回の教訓は、モノゴトを始める時には予め許容範囲を設定し、予算や時間などがその許容範囲を超えたら中止するとすることが必要だということです。時と場合によっては、中止こそが、再起への道筋を残すことが出来るのです。再起できるぐらいの余裕を残すことは、次世代への責務です。当時はパンデミック真っ只中で、誰もが引き際を見極める千里眼が欠けてしまったのでしょう。


記憶に残るのは五感を使った体験

どんな「祭典」でも、私たちの心に残るのは、祭典には参加者全員がリアルタイムで現場を作り上げる一体感という「体験」があるからでしょう。現場の熱意は、私たちの五感を通して味わうから心に響きます。その結果、私たちの記憶に残るのです。いわば、ライブハウスの音楽フェスと同じです。それがパンデミック当時は、その体験が「不要不急」なものとして扱われたのです。東京オリンピックで残ったのは「記憶」ではなく、膨大な「記録」だったと思います。


記録から分析し、今後に活かす

東京オリンピックの教訓を今後に活かすためには、残った記録データをしっかり分析することだと思います。データに基づいた分析から得た知見を基に、古くからの習慣として残っているだけで、今や障害となっているムダや課題があれば思い切って中止しましょう。逆に、今後のために必要な部分を新たに導入するのが良いでしょう。

未曽有の「祭典」だった東京オリンピックを経て、次回のパリオリンピックではまた違った角度からスポーツ「祭典」を楽しめることを心待ちにしています。パリには行けなくても、スポーツバーやパブリックビューイングで仲間と競技の行方を一緒に楽しみたいですね。




 
 
 

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